仕事のストレスで鬱そして脱毛。「ハゲリーマン」に。

薄毛やハゲになる理由はさまざまですが、私の持論は、「ハゲやすい体質に生まれついている」ということです。(ハゲ遺伝説ではありません)。

とくに若くしてハゲる場合、ハゲやすい体質に加えて、ハゲを甘くみた悪い生活習慣の蓄積があり、さらにメンタルの問題が止めを刺すケースが多いと思っています。
メンタルヘルスは、「自立神経のバランス」に影響するからです。

私はお医者さんではありませんから、井垣的、あるいは科学的な理論を語っているわけではありません。
経験上そういうふうに思っている、というニュアンスで聞いてください。
参考までに私自身がハゲるまでの経緯を、お話しておこうと思います。

私自身がハゲるまでの経緯

私は20代の頃、冠婚葬祭の互助会に勤めていました。
互助会とは、簡単に言うと、結婚式やお葬式に備えて、毎月何千円かずつ積み立てをしていく会員組織です。
あらかじめ積み立てをしていくことで、ご家族の結婚式とかお葬式をすることになったとき、そのぶん挙式や披露宴の費用が安くなったり、特典がついたりするしくみです。

結婚式や襲う意識は、誰に取っても人生の節目です。
とくに、結婚式をやらない人はいても、お葬式は必ずあります。
それなら、少しずつ積み立てておいた方が安心だし、得ですよ、と戸別に訪問して営業していました。

余談ですが、最近のお葬式は、「お金がかかるから家族葬にする」とおっしゃるご家庭が多い様です。
でも、意外と知られていないのですが、事前に積み立てをしておけば、お葬式の費用の多くは、会葬してくださる方たちのお香典で、かなり賄える様にできています。

だから、そういうことを説明して、ちゃんと熱心に営業すれば、けっこうな割合で加入してもらえました。
私が勤めていた互助会は静岡市にあったのですが、当時、市全体で17万世帯あったうち、4軒に1軒が加入してくださっていました。

会社のなかで問題児に

その飛び込み営業が私の仕事でした。
何年か後には営業マネージャーに昇進するほど仕事に励んでいましたが、私は、いつも周りと衝突してばかりしていました。

会社のなかで、周囲から見ると「問題児」だったのです。

当時、会社には従業員が500人くらいいたのですが、そのなかで、私は問題児と思われながら、「自分はオーナーには負けるけど、社員のなかでいちばん会社のこと考えています!」と公言していたのです。

当時勤めていた会社は、年商が100億円ぐらいあって、普通にやっていたらまずつぶれないような会社です。
すると、みんなおっとりしている。というか、本当に「ことなかれ主義」の人ばかりに見えたのです。

ですから、朝、出勤するなり、上司や、ほかの部署長と大激論です。

会員さんのお宅でお葬式があったあと、担当者が無神経にタバコを吸っていたとクレームがくれば、「人の悲しみもわからないようなヤツはクビににしてください!」

そういうわけにはいかないと言われれば、「あんた、自分が定年まで無事に過ごすことしか考えてないだろう?」といった具合です。

当時、積立金の集金には毎月、会員さんのお宅を訪問していたのですが、私は「数千円の集金に人間がわざわざ行って、どれだけ人件費をムダにしているんですか。自動引き落としでいいじゃないですか」と主張していました。

「いや、会員さんと会うことが大事なんだよ」と上司に言われれば、「今、何時代ですか?あんたの頭の中は縄文時代ですか?」とふっかける。

すると、「誰が縄文だ!バカにしやがって」ときますから、「あ、すいません。弥生時代でした?」

こんな感じで、丁々発止とやり合うわけです。

当時の上司には、「お前と同じ部署でよかった」と言われていました。
いわく、「お前にほかの部署から怒鳴り込まれたらかなわん」ということです。

ストレスから鬱に、そして脱毛

私は、生来、口が悪い方なので、自分ではけっこう正しいことを言っているつもりで、言い方が悪かったのだろうと今では思っています。
これは当時の大きな反省点なのですが、正しければ何でも言って良いかというと、そうではありません。

仮に相手が「コイツの言うことが正しいんだろうな」と思ってくれていても、あまりに失礼な言い方をしていたから、受け入れてもらえなかったのです。

万事がそういう調子でしたから、私はメンタルに支障をきたしていました。
ストレスがたまって鬱になってしまったのです。

ある日、外回りをしていたとき、ザーッと雨に降られました。
それで、頭からびしょ濡れになって、気がついたら、ものすごく脱毛していたのです。

もう、「ワーッ!」ち悲鳴をあげるぐらい打ちのめされました。

ハゲ遺伝説に戦々恐々だった青春時代。野球を辞めたわけ。

私の身内の男は、みんなハゲでした。
だから、高校に通っていた頃から、いつも「いつか必ず、俺はハゲる」という、確信の恐怖を抱えて生きていました。
今でこそ「ハゲ遺伝説」は否定している私ですが、若い頃はけっこう俗説に囚われていたのです。

プロ野球選手にはなれないようだ

中学のときは、野球部に入っていました。
野球そのものが大好きですが、将来、大洋の選手になる目標も忘れてはいませんでした。

しかし、夏の中体連地区大会が終わったあと、高校に行っても野球を続けるかどうかに迷い始めました。

それでも部活を引退後、仲間と一緒に社会人野球を経験した先輩のところに行ったりして、硬式のボールに慣れるつもりで練習を始めてはいました。

中学は軟式野球ですから、高校野球で使う硬式球には憧れがあったのです。

ですが、私の中でも、どうしようもないモヤモヤが広がり始めました。

「高校でも頑張るぞ」とイマイチ思いきれなくなったのです。

理由のひとつは、「自分がいくらがんばっても、プロ野球選手にはなれないようだ」と、現実が見えてきたことでした。
目標を見失った感じで、高校でも厳しい練習を続ける意味があるのかなって、ちょっと冷めてきたんですね。

髪があるうちにおしゃれをしたい

そして、もう一つが、大げさに言えば「髪の悩み」でした。

私たちの通っていた中学校は、高速で、野球部かどうかに関係なく、男子はみんな坊主頭でした。
高校生になったら、野球部にはいらない限り、坊主頭からは解放されます。
みんな髪型の自由に憧れていたのです。

とりわけ、「将来ハゲる予定」の私には、髪があるうちにおしゃれをしたい、という気持ちも強かったのかもしれません。

「いつ伸ばすんだ?」「今でしょ!」

そういう心の声が、坊主頭の中で、いつも反響していました。

仕事のストレスで鬱そして脱毛。「ハゲリーマン」に。

なぜ人はハゲるのか?光り輝くスーパースター、山下大輔さん。

ハゲは、嫌いではありません。

私は、子供の頃から野球が好きで、もともとは生粋の横浜DeNAベイスターズファン。
私が小さい頃には、できたばかりの横浜スタジアムを本拠地に大洋球団が再スタートした「横浜大洋ホエールズ」でした。

大洋ファンのくせに生意気だ

当時のホエールズは、万年Bクラスで、子ども心にも情けないぐらい弱かったのです。
連日負けたニュースばっかりで、「よし、なら応援に行こう!」と球場に足を運んでも、必ず負けてしまいます。

そんなわけですから、周りに大洋ファンなんてほとんどいませんでした。

最近は昔よりだいぶ増えていますが、大洋ファンって、当時はだいたいクラスにひとりくらいなものです。

「ドラえもん」に出てくるジャイアンとスネ夫は、よく「のび太のくせに生意気だ」などと言いますが、私はクラスの友達から「大洋ファンのくせに」なんて言われていました。

「なんで、こんなに弱いチームのファンになっちゃったんだろう」
よくそんな風におもったものです。

だから私の小さい頃の夢は、プロ野球の選手。
それも、大洋の選手になることでした。

「自分が大洋の選手になって、チームを強くするんだ!」と思っていたのです。
今考えれば健気なものです。

話が遠回りしている印象があるかもしれませんが、私が子どものときに憧れていた選手は、山下大輔選手です。

子ども時代の私が、なぜ大洋を好きになった理由

それは、一にも二にも、山下選手ありきでした。

私の出身地は、横浜ではなく静岡県清水市(現在は静岡市清水区)なのですが、実は山下選手も同じ清水市の出身だったのです。

小学校の担任が、たまたま彼と同級生でした。
しかも、当時、大洋球団は静岡で春のキャンプを張っていたので、放課後、その練習を見に行ったりして、すっかり山下さんのファンになったというわけです。

山下さんは、慶応大学の野球部で大活躍して、1974年に期待のプリンスとして大洋に入団した名選手です。
私が物心ついたときには、もう球団の顔としてショートの定位置で活躍していました。

担任は私たちを諭すとき、よく山下選手をダシに使ったものです。

「彼は野球がうまいだけじゃなくて、勉強もよくできたんだ。君たちも、外で遊んでばかりいないで、勉強もしなさい!」といったふうに。

自分のハゲ頭をギャグにして滑るギャグを連発する大物

山下選手の優れた頭。
それは、とくに子ども心に印象的でした。

そう、彼こそは、まさに「光り輝くスーパースター」だったのです。

山下選手は1988年、私が10代の頃に現役を引退しましたが、当時から頭髪が薄く、帽子を取った時の雄姿には、まさに後光が差していました。

しかし、山下選手はクレバーにして豪放磊落。
自分のハゲ頭をギャグにしてのけ、まさに「滑るギャグ」を連発してくれる大物でもありました

2003年に横浜の監督に就任した際には、キャンプで集まった選手たちに、こう訓示したと言われています。

「みんな、僕の頭のようになってほしい。ケガなく、明るく、輝いてほしい!」

とはいえ山下選手も、現でき時代は自分の頭を相当気にしていたようです。

当時のプロ野球には、バッターが塁に出たらヘルメットを脱いでいいというルールがありました。

そのためバッターはユニフォームのポケットに帽子をしまい、塁に出るとヘルメットを取って、しまっていた帽子をかぶるようにしていたのです。

ところが当時の山下選手は、打席に立つ際に、帽子の上にヘルメットをかぶり直さなくてもいいよう、工夫していました。

それを見た当時の自分は、子ども心ながらに、「やっぱり頭を見られたくないんだな」と思いました。
それと同時に、自分も野球選手になってハゲた場合、山下選手のように、帽子の上にヘルメットをかぶろうと思ったものでした。

山下監督の苦戦の頃、私の頭髪も苦戦に

さて、まさに「生え抜き」の監督として期待された山下さんでしたが、2年間の監督時代は、戦力に恵まれず、自らのニックネーム(大ちゃん)に引っかけた「大チャンス打線」というネーミングも見事に滑って、2年連続の最下位に沈んでしまいました。

そして、山下さんが苦戦を続ける一方、私自身も、そろそろ髪のことが気になり始めていました。

光り輝くスーパースターへの憧れから始まり、何の因果か、自分の髪を心配するはめに。

そして現在、子どもの頃には思ってもいなかった育毛をサポートする会社の経営者へ。

これが「ハゲつながりの私の前半生」のあらましです。

思えば子どもの頃って、夢も、髪の毛もたっぷりありましたね。

私は、先ほども触れたように「将来はプロ野球の選手になって、大洋の救世主たらん」と切望していました。

「ドラフトで巨人が指名してきたって、俺は行ってやらない。狂人なんて、俺が行かなくてもじゅうぶん強いじゃないか。」

そんなふうに本気で考えていました。
子どもって、現実を知らないから、ものすごいことを考えますよね。

なぜそんな夢を抱いたかというと、きっと悔しさがあったのだろうと思います。

大洋を応援しに行くと、私設応援団の人たちがいます。
いつも同じ顔ぶれですから、そのうち何人かの人と親しくなります。

すると、われらがチームはたいてい負けますから、仕事の合間を縫って駆けつけてくる大人の人たちが、いつも悲しい顔をして帰っていくのです。

おじさんたちが、試合のあとに「テッちゃん、いつか強くなるからな!」と私を励ましてくれるのを、逆に子どもながら「かわいそうだなあ」なんて思っていました。

テッちゃんというのは、私のこと。
杉山哲矢という名前だから、親しくしていただいている先輩に、今もそう呼ばれることが多いのです。

それはともかく、横浜大洋は、オジさんたちが「いつか強くなる」と言っても、いつまでたっても強くならないのですね、これが。

だから「将来、自分がオジさんたちを喜ばせてやろう」と誓ったわけです。

ハゲ遺伝説に戦々恐々だった青春時代。野球を辞めたわけ。

たった1年で「超フサフサ」に。ハゲからの生還物語

「ハゲ」。それは男にとって、非常にデリケートかつ切実な悩みです。

日本で脱毛が進行している人は2500万人

育毛ビジネスの大手企業、リーブ21の「頭髪悩み度調査(2015年)」によると、日本には脱毛が進行している男性が2448万6000人いると推計されています。そのうち男盛りの20〜30代が約半数にものぼります。

若くしてハゲてしまうのはとてつもない恐怖です。
私自身、ハゲの多い家系に生まれて戦々恐々とした日々を送り、20代後半に早くも襲ってきた脱毛と薄毛の悩みを味わってきました。ハゲは外見だけでなく、心理的にもネガティブな影響を及ぼします、髪とともに男としての自身やプライドまで、どんどん失われていきました。

髪が生えるなら、いくらお金を払ってもいい。

日1日と抜けていく髪に思い悩む人々は藁をもつかむ思いで、とにかくありとあらゆる治療を試みるものです。
私もまた、育毛剤や育毛クリニックなど、巷の育毛商品/サービスを手当たり次第試しました。
ところが高額の費用負担もむなしく、頭髪は一向に生えてきません。

「育毛の失敗したのは、やすい商品を購入したからだ。もっと新しい、もっと高い商品、サービスならば、ハゲとおさらばすることができるのかもしれない」

こんな心境に陥ってしまえば、あとはもう負のスパイラルです。
新商品を試してみては失望し、「次こそ」と期待をかけては裏切られ、結局、私のもとに残ったのは、相変わらず心もとない頭髪と、大金をドブに捨ててしまったという事実のみでした。

安かろうが高かろうが、有効成分の質には大差がない

私は悔しさに駆られて、いくつもの育毛ビジネスの裏側を調べ尽くしました。
その結果わかったのは、さかんに広告を打っているような育毛商品、サービスには研究論文などの学術的な裏付けが一切ないということです。
しかも、安かろうが高かろうが、有効成分の質には大差がありません。
実は成分を製造している工場は国内に数社しかなく、巷にあふれている育毛商品の大半は、同じ原料からつくられています。
宣伝文句を鵜呑みにして大金を支払っても、フサフサになることなどできなくて当然だったのです。

世の中にはハゲから「生還」する方法はないのか、ハゲてしまったらあきらめるしかないのか?
育毛ビジネスの実態をしって深く絶望するなかで、なんとか可能性を見出そうと私は決意しました。

プロが提供してくれる方法で効果が実感できないなら、自分で研究、開発を行うしかない。
そう思い立った私は、独学で研究を重ねては、さまざまな方法を実践していきました。

そして1年後。私の頭髪は、豊かにたなびいてました。
心に失ったはずの男のプライドが戻り、自身がみなぎっていました。

今では研究で得た知識、経験をもとに育毛商品、サービスを提供する会社を設立し、年間3万人を超える人々をフサフサにしています。

実際に体験して効果の育毛ノウハウをあまずところなく解説

具体的には、洗髪テクニック、薬やクリニックの選び方、食事や睡眠、運動といった生活習慣病など、私が知り得る情報を惜しみなく公開します。

21世紀の現在、はっきりと発毛効果のなる育毛ノウハウを実践すれば、頭髪を再生させることは可能なのです。

多くの人があきらめてしまうフサフサは、実は誰にでも取り戻せます。
親愛なるハゲ仲間に負のスパイラルから脱出してもらい、ともに前向きに生きて行くためのメッセージです。

髪の悩みをもつ皆様が人生を明るく楽しむための一助となれば、これにまさる喜びはありません。

なぜ人はハゲるのか?光り輝くスーパースター、山下大輔さん。